タイムカードのない取締役で残業代請求100万円が認められた事例

今回の案件は、残業続きの労働を求められる会社をやっとの思いで辞めたにもかかわらず、会社から急に通知が届き、身に覚えがない理由で損害賠償請求・刑事告訴を示唆されて未支給の給与から天引きするといわれた場合、その給与の受給を諦めるほかないのでしょうか?

また、取締役の地位にあり、労働時間をタイムカード等で記録していなかった場合、会社に対して残業代の支払いを求めていくことはできないのでしょうか?

今回は、弊所で受任した労働関連の事件の中から、会社からの給与の天引きの通知を拒み、さらに未支給の給与の支給を受けることに成功した事例、及び、その事例と並行して申立てを行った、取締役でタイムカードの記録がなくても約100万円の残業代請求が認められた事例についてご紹介させていただき、併せて解決までのポイントなどを解説しようと思います。

 

【事例の概要】

今回のご依頼者は営業職をしていた男性(Aさん)と、その同僚だった男性(Bさん)ほか2名です。

Aさんは、本事例の相手方である会社の営業部で働いていましたが、その雇用についての契約書はなく、勤怠管理のためのタイムカードも作成していませんでした

その後、Aさんはその働きぶりが認められ、営業部の責任者として扱われるようになりました。

そして、「取締役が3人いないと見栄えが悪いから」との理由で取締役として登記され、その後、給与も役員報酬に名目が改められました。

しかし、その労働環境に大きな変更はなく、早い日では6時半頃に出社し、遅い日では翌午前2時頃まで働くことで、社長から一方的に割り当てられた業務をなんとか処理していました。また、給与の額も名目の変更前後で変わらず、月額約50万円(手取り約40万円)でした。

そして、過酷な労働への不満は高まり、Aさんは同僚と同時に会社を辞め、転職することにしました。

すると、引継ぎ作業を終えて無事に退職した直後のある日、会社の代理人弁護士から内容証明郵便が届きました

その書面には、引継ぎ作業の不備や会社の経費の流用などによりAさんが取締役としての任務を怠ったと記載され、これが損害賠償請求の対象になること、及び、業務上横領に当たることについての記載がありました。そして、会社はこのことを理由に、既に支払われた1ヶ月分の報酬の返還と未払いの1ヶ月分の報酬の放棄を求めてきました。

しかし、ご依頼者としては書面上で主張されている引継ぎの不備の事実や経費流用の事実には身に覚えがありませんでした。

そこで、この請求に対して適切な対処をし、可能であれば残業代の支払いも受けたいと考え、転職先の会社を通じて、労働事件を多数取り扱っている弊所にご相談いただきました。

また、同時に相談に来たBさんは、基本給月額35万円の約定で営業部の一員としてAさんとともに働いていました。

Aさんと同様、タイムカードによる管理がないまま長時間の労働を強いられていましたが、残業代の支払いはありませんでした。

そのため、BさんもAさんと同じタイミングで会社を辞めることを決め、未払いの残業代を請求していくことにしました。

また、Bさんと同様の境遇の2名の方からもご依頼を受け、残業代を請求していくこととなりました(以下、これらの方々をまとめて「Bさんら」と表記させていただきます。)。

 

【解決までの道のり】

本事例ではご依頼者と会社の見解に大きな開きがあり、交渉による解決が容易ではないことが想定されました。そこで、ご相談を受けた弁護士は、ご依頼を受けるとさっそく労働審判の準備に取り掛かりました。

今回は、AさんとBさんらについて並行して申立てを行い、同一手続で労働審判を求めていくことにしました。

労働審判の申立てにおいて、弁護士は業務上のメールのやり取りの時間等を示すことで、時間外労働の存在とその時間を示していきました。

労働審判の中で、裁判所からは、Aさんが残業代を請求できる地位であると認めるのは難しいのではないかという見解が示されました。もっとも、会社側の任務懈怠等の主張には妥当性がなく、Aさんに対しては未払いの役員報酬を含めていくらかの支払いを認めるべきとの見解も示されました。

そこで、弁護士はAさんやBさんらと相談の上、ご依頼者と相手方が妥協できる条件での解決のため裁判所に仲裁を求めていくことにしました。

その結果、調停が成立し、Aさんは会社から未払いの報酬として約40万円の支払いを受けることになりました。また、Bさんは解決金として約100万円の支払いを受けることになり、残業時間の少なかったほか2名の方も、その残業時間に応じた解決金の支払いを受けることになりました。

【解決のポイント】

《解説1 労働審判って何?》

本事例を解決するため、弁護士は労働審判という手続きを利用しました。

労働審判とは、訴訟より簡易な形で、裁判所の仲裁による解決を目指す手続きです。中立な第三者である裁判所の仲裁を受けながら、訴訟よりも柔軟に紛争の解決を目指すことができます。

本事例では、4名の申立てについて手続を併合した上で、まとめて審理されました。

そして、手続きをまとめることで余分な時間と労力を費やすことなく、裁判所の仲裁の下に相手方の代理人と話を進め、和解をすることができました。

なお、労働審判についてもっと詳しく知りたいという方は、以下の記事をご参照ください。

労働審判で残業代請求をする流れ・費用・期間などをわかりやすく解説

《解説2 会社からの債権放棄や相殺の要請に応じる必要がある?》

本事例の紛争のきっかけは、Aさんが会社から役員報酬の返還及び放棄を求められたことにありました。また、本事例以外でも、会社から損害賠償請求をされて、給料からの天引きに応じるよう求められているというご相談は多く寄せられています。

では、このような天引きの要請に応じなければならないのでしょうか。

まず、天引きを求められているのが労働基準法上の「労働者」である場合、(労働基準法上の「労働者」といえるか否かの判断方法については後述します)、いわゆる賃金全額払いの原則(同法24条1項)により、会社が労働者に対して有する債権と労働者の給料を一方的に相殺することは基本的に許されません。また、会社が給料の放棄を強制しようとしたとしても、基本的に労働者がそれに応じるべき義務はありません。

そのため、天引きの要請に労働者が同意しない場合には、会社が給料から損害賠償に相当する額を天引きすることは原則として認められません。

また、労働者が天引きに同意した場合であっても、その同意が「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」といえない限り、有効なものと認められません。

そのため、会社がその優越的な地位を利用して労働者に同意させたと判断される場合や、会社が同意しないことによる不利益を示唆することで、不当な条件で同意させたと判断される場合には、その天引きは無効になります。

以上のように、労働基準法上の労働者に対する給料の天引きのハードルは高いです。

そのため、労働者としては、毅然とした態度で天引きを拒絶した上で、仮に損害賠償が必要なら別途請求してもらうように伝えるのが正しい対応といえる場合がほとんどであるといえます。

一方で、基本的に労働基準法上の労働者に当たらないとされる取締役などは同法の適用がなく、会社と取締役の関係は無報酬が原則の委任関係に当たるため、天引きのハードルは比較的低いといえます。

ただし、取締役の名称が付されているからといって、直ちに労働者に当たらないと判断されるわけではないですし、実質的に労働者としての給与といえる給付を受けているような場合には、その部分については労働者保護のための規制の趣旨が及ぶ可能性があります。

このように複雑な事例においては、非常に難しい法的判断が求められます。実質的には労働者として給料を受け取っていると考えていたにもかかわらず、取締役報酬名目の給付であったとして相殺を主張されているような場合は、お早めに労働問題の解決実績のある弁護士に相談することをおすすめします。

《解説3 取締役の肩書があっても残業代を請求できる?》

本事例において、肩書を付されていなかったBさんらについては、問題なく残業代の支払いを求める法的な地位が認められました。

一方で、取締役として登記され、営業部の責任者であったAさんについて、裁判所は残業代の支払いを求める地位を認めることは難しいとの結論に至ったようです。裁判所はどのようにこのような判断に至ったのでしょうか。

まず、先述した賃金全額払いの原則や残業代請求など、労働基準法による保護を受けるためには、労働基準法上の「労働者」と認められる必要があります。

労働基準法上、労働者とは、「職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者」(労働基準法9条)をいうとされています。つまり、①「使用」されていること、②「賃金」を支払われていることが労働者に当たるとされます。そして、この判断はその肩書などから形式的になされものではなく、その実際の働き方などから実質的になされるものとされています。

労働者性の詳しい判断方法について知りたいという方は、以下の記事をご参照ください。

労働者性とは?労働者と業務委託の判断基準をチェックリストで確認

本事例のAさんは取締役として登記され、給与も役員報酬の名目で受け取っていました。もっとも、その登記の前後でAさんの労働環境に大きな変更はなく、社長から一方的に割り当てられた業務を拒む権限はありませんでした。

以上のことを考えると、Aさんは実質的にみれば、会社に使用されており、労働の対価として賃金を受け取っている「労働者」と評価される余地があります。

次に、労働基準法の適用を受ける「労働者」の中でも、経営者と一体的な地位にある「管理監督者」に当たる場合、労働時間等の規制の適用対象から除外され(同法41条1号)残業代請求をすることができません。

管理監督者に該当するか否かについても、労働者性の問題と同様、肩書や法人内部の規定等のみから判断するのではなく、職務内容や権限、待遇などを踏まえて実質的に判断されます。

特に、ア)経営者と一体的な立場で仕事をしているか、イ)出社・退社や勤務時間について厳格な制限を受けていないか、ウ)その地位にふさわしい待遇がなされているかの3点が重要な考慮要素とされます。

管理監督者に当たるか否かの詳しい判断方法について知りたいという方は、以下の記事をご参照ください。

「管理職の残業代は出ない」は間違い!違法なケースや請求方法を解説

本事例において、Aさんは多くの業務を社長の一方的な指示の下に行っていました。また、出社・退社や勤務時間について管理されてはいませんでしたが、これは他の社員と同じ取扱いで、Aさんの地位に基づくものではありませんでした。

しかし、他の営業部の社員の管理や営業部に関連する一部の決済については、一定の権限が与えられており、実際にAさんも自分が社内で責任ある地位にあることを自負していました。また、給与も他の社員に比べて相当に高く、Aさんの地位に基づく好待遇といえるものでした。

そのため、Aさんは管理監督者と判断される可能性が高かったといえます。

以上のことから、弁護士は最終的にAさんについて残業代請求を認めてもらうことは難しいと判断し、会社のAさんに対する損害賠償請求権がないことを中心に示して、未払いの報酬を支払ってもらうことにしました。

《解説4 タイムカードがなくても残業代を請求できる?》

本事例においてBさんらとの関係で問題になったのは、会社による勤怠管理がしっかりとなされておらず、労働時間が明らかでないという点でした。

会社が勤怠管理をすることは労働安全衛生法上の義務ですが、必ずしもタイムカードによる管理をする必要があるわけではないため、職場によってはタイムカードが存在しないこともあり得ます。

そのような場合でも、様々な方法で労働時間を立証することにより、残業代請求をすることができる場合があります。

具体的にどのような記録が労働時間を立証する証拠になるのかについて詳しく知りたい方は以下の記事をご参照ください。

タイムカードないけど残業代もらえる!あれば役に立つ証拠16選!

本事例では、Bさんらが自発的に記録していた出勤簿や、業務メールの送信記録、既定の労働時間外に社内で撮影された業務関連の写真等を証拠として用いることで、労働時間の立証を進め、残業の事実を認めてもらうことに成功しました。

【おわりに】

本事例において、Aさんは会社の不当な損害賠償を退けて本来の報酬を受けることができ、Bさんらは労働時間に合わせた残業代を手にすることができました。

労働は皆さんの日常生活と密接に関連したものですが、労働法関係の争いには日常生活の範囲を超えた専門的判断が求められる場合が少なからずあります。

弊所弁護士は、ご依頼者がその労働に応じた正当な対価を受け取り、複雑な労働問題をも解決していくことができるよう、その豊富な経験と知識を活用し精力的に活動していきます。

労働関係の争いを抱えて困っているという方は、ぜひ一度、弊所にお問い合わせください。

弁護士 若林翔

弁護士法人グラディアトル法律事務所代表弁護士。 東京弁護士会所属(登録番号:50133) 男女トラブルや詐欺、消費者被害、誹謗中傷など多岐にわたる分野を手掛けるとともに、顧問弁護士として風俗やキャバクラ、ホストクラブなど、ナイトビジネスの健全化に助力している。

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